《 主 3 》
そよ風とツバメ、水鏡に白雲と山々。
田の東の端から南西へ、ある時は中央付近を気まぐれになでてゆく。風の足取りは滑らかな小波だ。遠く離れた尾根や山頂付近の残雪を水面越しに望む朝の晴れやかさよ。ほどなく若稲の敷物が広がるため、水鏡も風をめぐる情景もひと月と言わず消えてしまう。
広域農道が開け、作付されない土地が残り、私の生きた時代とは様変わりした。
高田郊外の頚城平野―。数日前まで朝晩は底冷えさえしたが、大型連休明けを山場にした田植え作業がひと段落したのと相前後し、夜風に柔らかさが帰ってきた。風が纏う夢は若葉色をして、ひたすらに輝くが、人生のごとく淡い。美しい季節が雪国に巡ってきた。
私は尾神岳の麓で生まれ、東京に出る15の春まで過ごした。
7年半の丁稚奉公を経て帰郷し、高田の職人町で暮らすようになった。稲刈り時分と同様に、田植えの頃になると決まって本家の文藏さんから連絡があり、出掛けていった。
夕日が燃えながら山の向こうへ沈みゆく。静寂を従え、世界は夜になる。静けさは半時も続かず、蛙が競うように鳴き始める。
ある夜の、音調不揃いな蛙たちの声を思い出している。本家の2階の窓を開け放つと、眼下に広がる一面の田が月に照らされるさまを眺め、疲れを癒した。野焼きの煙霧をかすかに含む夜風のおだやかな訪問が繰り返されて、私の芯は深い安息に満ち足りるのだった。

草の匂いは私の故郷だ。
あれは。
あのように幸せなこともなかった。
学校から帰って麦茶を1杯飲むと、すぐさま友人宅へ出掛けていった省吾が、夕暮れに蛙の卵を持ち帰ってきた。自らの手のひらに収まる小さなものだ。園児が遊びに使う黄色いバケツに入れ、ひとさし指でなでながら透明な卵の感触に浸っている。

一番風呂を済ませたばかりの林田がやって来て、のぞき込み、
「うっ。家ん中持ってきちゃったか。」
「さわりたい?」
「やームリ。省吾好きなの?」
「ふふぅ。」
少年は嬉しくて仕方がない。

「あのね、これね、りおくんとね、えいきくんと3人で分けたの。最初はこれの2倍あったの。」
「魚とか好きだね。」
「うん、川魚。ハヤとか。」
「川限定?渋いなぁ。」
省吾がはにかんでいるところへ父の次郎が通りかかり、先ほどの林田と同じようにバケツをのぞいて、
「そろそろ池に入れてみたらどうだい?」
「もときくんも一緒にする?」
「や、省吾やんな。なんだろ?手洗いてぇ。」
「父ちゃん、ついてきて。」
家屋の増改築に伴って、昭和から平成に移行し間もない頃に池の大半が埋められた。申し訳程度の小池が残ったが、昔はなかなかに立派だった。小千谷で買い付けてきた錦鯉がゆったりと身を滑らせ、水中に友禅が広がる。
池の縁にしゃがみ込み、次郎と省吾は似た者同士の、やや猫背の後姿で隣り合いながら、
「ろく。…きゅう、じゅう…。カエル、それでも12、3は孵るか。」
「カエルがかえるだね。」
「ん? きょうは父ちゃん冴えてるな。な?」
「ふふふぅふ。」
「しょうちゃんやってごらん。」
「ここ?ポチャンてやってい?」
「端のほうからゆっくりだよ、流してごらん。」

《 林田元樹 1 〜メール〜 》

受信 まゆ
会って話したい。
いつならいい?
放置したら家行くから。
受信 りえ
えー
仕事ってゆったじゃーん。
美容院の予約入れちゃたあよ。
受信 ゆうき
お疲れさま。
木曜日の夜2時間くらい会えそうなの。
旦那、飲み会だって。
送信
莉絵に会いたい。
何時ならい?
受信 りえ
しゃーねーなー。
じゃあ、8時で。
どこ行く?
※絵文字等は省く
↓ 永久保存版、ハルニレ荘人物図

[3回]
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