どうもごめんくださいませ。
サンダース・ペリー代理店を営む、甘地トシ子でございます。
小説連載ブログへようこそお越しくださいました。

舞台は、新潟県上越市東本町1丁目にある、昔ながらの下宿といいますか流行りのシェアハウスといいましょうか。その名を、
戸田ハルニレ荘
これから約半年にわたり、住人たちの災難騒動、恋路、人間模様が、あなたの時間に寄り添いながら展開します。住人や謎の誰かさんが入れ代わり立ち代わり現れて、告白と実況をいたします。どうぞ暇つぶしにお楽しみください。
では。
いざ、満を持して。
住人が「食堂」と呼ぶ共有リビングへ、あなたをお連れします。
わたくしがいつも出入りする正面玄関は晴れた昼間でも薄暗くて、昭和50年ごろまでは土間兼ミセだったそうなのね。店じゃなくて“ミセ”らしいですわ。当時の豪商ね。玄関の暗さに目が慣れてくると、大小合わせて自転車が3台、冬タイヤが5組ほど、大工道具の収納棚の傍らには脚立と枝切りバサミと木製バット、大ぶりの金だらいが壁に立て掛けられて、ごめんくださーい、トシ子ですー。スケボーや1人用トランポリンなんかも子供が遊んだままに置かれています。
「あがってくださぁい」
この声、だいたい平日はいつもいるんですわ絵美さん、お邪魔しましょお邪魔しましょ。わたくしは、いつもこの古びた下駄箱にこう手を掛けて、EPOCAのヒール、これ2代目ね伊勢丹で、ヒールをいそいそと脱…。ま、絵美さーん、靴これ多すぎるわ、ちょっと片付けてもらったら? みんな大人なんだし、だってあなたが全部やることないじゃない。
…やだ。これじゃまるで嫁いびりしてる姑みたいね、フホホ。うちのけーちゃんも嫁いびりさせてくれる日がいつかくるのかしら、脛ばっかりかじって40にもなって大学行き直して、ホント今さらなに勉強することあんのよね。
「トシ子さんのDNA受け継いで優秀なんですよぅ。…省吾、大丈夫ですかね。ぼーとしてるんですよねぇ」
「あなたに似てる」
「えー」
ちょっと失礼だったかしら。と思ったけど、
「へへへー」
笑ってるわ。
「そうですかぁ? じゃあ、そっかなー」
この人といるとテンポ狂うのよね。
「省吾くんはいいわね。子どもらしいわ、ピュアで。いつも気持ちが落ち着いて、おだやかでしょう」
「えーいやぁ、そんな全然。私にはそうでもないんですよ」
雰囲気がなんていうか妖怪っぽいのよ、この人って。悪さしないし怖くもない妖怪なのよね。
「へへへへー。トシ子さん、いいの、食べませんか?」
「あら、なぁに?」
「竹内泰祥堂のカステラのはしっこ」
特価でたまに出るあれね。タイミング合わないと買えないの、意外と抜け目ないわ。
「あ。あの、きょうって、サンダースのってもらえます?」
「もちろんですわ、ありがとうございます」
「サ、サ、サ?…あ、ス? 日焼け止めの、スススぅ」
「
サンスクリーンね」
「あ、でぇす」
絵美さんやここに住む人びとはわたくしが営むサンダース代理店のお得意様です。皆さんそれぞれに好みの品があり、自分の肌になじむ商品を愛用していただいております。
「庭出たりするのに、もうこれからは塗らないとって思ってたんです」
「省吾くんにもいいからね」
「朝塗ればOKですか?」
「あーだめだめ。効果は2時間なの、だからちょくちょくつけなさいよ」
「わっ、見て」
「どしたの?」
「このはしっこ、ここの部分って特においしいですよね」
「絵美さん」
「ほら、ざらめがこんなに」

◇
この「食堂」って。いいのよね。つい長居しちゃう。
改築してるとはいえ、一般のお宅と変わったところがあるわけじゃないんですよ。いろんな人が寄り合う場所柄ね、きっと。こういうところは、風通しが良くて、温かいものだわ。誰かが作ろうと思っても、たとえこういう場所がほしいと願っても、なかなか叶わないでしょう。宝物なんじゃないかって、思うことがあるの。
「後藤さんとこ親子ね」
カステラもぐもぐしながらうなずいてるわ、憎めない妖怪。
「やっていけそうかしらね?」
「うーん。…ですよねぇ」
いつものこの人は緩やかに話すけど、こんなふうに言い淀むなんて珍しい。もしかして、後藤さんたち、なじめていないのかしら。
「仕方ないですよね。いえ、トシ子さんに紹介してもらって、そこはほんとに良かったです。ほら、文子さんは、ああいう人だから。仕事も忙しいし、もう進むしかないって感じ。根がけっこうサバサバした人でしょ。私もやりやすいんですよね」
「裏がないしね」
「でも、マミちゃんは。…仕方ないと思うんですよね。今は特に。なにか聞いても答えてくれないし、突っかかってくるみたいな態度だったり。その時はねぇ、こっちだってムッとくることもあるんですけど」
表情にどこか愛らしさを残しつつ、絵美さんが目を伏せて微笑しています。
「でも。…ねぇ。女の子は成長早いって言っても、省吾より1つ上なだけだし。今は心がねぇ。誰にも言わないけど、マミちゃんは頑張って耐えてます」
◇

女たちの声が暖気のように上ってくる。
週に1、2度訪れる常連の女が椅子から腰を上げ、帰るところだ。そこへランドセルを背負った男の子がやって来て、常連の滞在はまた半時ほど延びそうだ。
目蓋を閉じて暫く。
いつの間にか、うつらうつらと寝てしまっていた。そうしているうちに様子が少し変わったようだ。
豪雪地方に残る雁木の軒並みに、町屋が3軒連なっている。
ここは、私の家。
3軒いずれも私の家だ。各棟とも鰻の寝床式に奥へと細長い。中庭には小さな池。庭を見る縁側は、3軒抜き通しの渡り廊下になっている。
改築を幾度か経ているが、土台や本柱は戦前の棟上げ当初のまま。殊更に見事なのが中央の棟の天井梁だろう。私が最も愛する空間だ。
この中央の棟には管理人家族が住んでいる。
1階は「食堂」と呼ばれ、朝晩2回、食事のために両隣りの棟から住人たちが集まってくる。2階に居住する夫の次郎と15ほど年下の妻・絵美。この2人は気質が似通っており、生来の楽天家だ。夫婦には小学生の息子が1人。取るに足らない些事も恥ずかしがり、耳まで赤くする。はにかみ顔は子供も大人も引き寄せる。この子供の内にある芯はまだまだ柔く、形も定まらない。名は、省吾という。
私の左手にあるのが、誰からともなく「男組」と呼ぶようになった男性専用家屋だ。住人は2人、どちらもまだ若い。空き部屋が1つある。
20代半ばの林田元樹は、管理人夫婦の次に早起きし、日暮れ前に帰ってくる。勤め先は公共事業の孫請けと住宅建築業。帰宅すると、水分をたっぷり取ってから長風呂をし、週のうち4日は「食堂」で夕食をとり、身なりを入念に整え、出かけてゆく。住人のひやかし話では、長続きしない恋をいくつか掛け持ちし、日替わりで会いに行くという。合間に幼なじみや麻雀仲間とも遊ぶ。通りすがりの恋人たちを「男組」に連れ込むことは頑なにせず、たまに外泊をする。1日おきに自室や廊下を箒で掃き雑巾で磨く心掛けとは裏腹に、首筋に吹きかける香水の甘ったるさには品性が欠けている。
もう1人の住人、吉康一のほうが趣味は良い。ブランド製の香りをつけることが多く、時々はWELEDAのサルビアをつける。私はこの芳香が好きだ。生き生きとして杉林の中に立っていた時代の私を思い出すから。この香りには、彼の事情と秘密がある。
吉は30前半。大手レンタカー会社の地元支店に勤めている。身につける品物全てにこだわりがあり、アメリカの古い雑貨や照明を集め、部屋からあふれ出さんばかりだ。これら発色の洪水を維持するのに給料だけではままならず、農業を営む友人一家を頼ってアルバイトすることもある。
「男組」に対し、私の右手には女性用家屋がある。通称「ごぜさんのほう」と呼ばれる由来は、昭和40年代まで数人の高田瞽女が暮らした旧家が隣りにあるからだ。

次回は、4月11日にトシ子のワンポイント美容アドバイス、
4月15日に小説第2回の予定でございます。
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[14回]
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