《 後藤マミ2 》
わたしのママは“もとヤン”なんだ。
タバコすって学校さぼってガン飛ばしてた人は、だいたい‟もとヤン”っていうの。
前、見たのはね。
むらさきのアイシャドウぐわーってつけてまっ赤な口べにぬって長いスカートはいてしゃがんでるママの写真。いまよりババアっぽい。となりにいた人も同じようなけしょうしてた。なんていうか。ブスっぽかったね。
ママは顔わるくないから、にあってないけど、ちょっときれいだったかも。
同じ‟もとヤン”でもシンナーすった人はバカになっちゃう。シンナーはどくなもの、すうのはバカなんだって。
ほんとバカみたい。
全部バカみたい。パパもママもこの変な形の家も春になってよろこんでる人たちもみんなバカみたい。
この家は人がおおぜいでにぎやかだけど、わたしたちの部屋にもどると、ママは泣く。
ママが泣くから、わたしはジョーイのまねをする。半分あきらめながらするんだよ。
‟もとヤン”イコール昔調子こいてたってことだけど、それと夜泣くこととはかんけいない。こうなる前、ママはドラマを見て感動したときくらいしか泣かなかった。いつも笑ったし、おこったり歌ったりした。

かなしいのをとめるやり方がわからない。なにもできない。
ジョーイがいてよかったな。わたしがかなしい気持ちのとき、いたいのいたいの飛んでけみたいに、ジョーイがどこかとおくへ飛ばしちゃうから。
すごく、すごく、かわいい。
わたしのジョーイ。心をあげる(24時間いつもじゃないけど)。心と手でジョーイをなでる。
元気とかいたいとか楽しいとかたいくつとか好きとか、きみも言葉が話せたらよかったのにね。

わたしがジョーイのまねしても、ママはだめ。うそついておもしろい話をしたら、ちょっとわらうときもあるけど、でも次の日はまたかなしい気持ちにもどる。
わたしはうそつき。うそつきでもママがもとどおりになればいいじゃん。
ねぇ。
ときどき、とうめいになりたくならない?
《 吉康一 1 》
世の中には本当のことがほとんどない。
どこかの文章ではなく、たかが33年ぽっち生きてきた現時点での結論、人生の真実だ。
俺が愛する富永太郎の一生は儚かった。同時代の詩人たちのことを流し読み程度にしかわからないが、大げさでキザなやつばかりだ。モテたいという助平心などチラ見せされても気分が悪い。だが、漂泊の詩人が見せる景色は、なんと透過性の高い、尊い世界だろう。若き詩人は、愛する女の豊潤な抱擁を受けられぬまま、昭和を待たず24で死んだ。放浪し、詩を書いて、喀血を繰り返し、最後は自殺のようにして死んでいった。この時代しかあり得ない、富永でしか紡ぎ得ない一生と作品は、没後88年の世を生きる俺の胸を激しく打つ。
富永は愛おしい。
特別な存在にはなりえない―。
自己の真実により早く気づいた者は、どの時代でも真の勝者となる。
要するに、世間、天才、天災、他人、病気、父親、会社組織、なんでもいいが、それらに鼻っ柱を折られて、一度あきらめてしまうことだ。富永は人妻相手の失恋だったが。自己の真実に気づいた俺は、あきらめた地点をターニングポイントと銘打ち、ハリー・キャラハンを気取りながら、シニカルに人生の真の幕開けにスタートダッシュを切るかというとそうもせず、自分にとって途轍もなく苦しいポジションから早々にトンズラこき、これからもごまかしつつ行く。人をだますだの自分に嘘をつくだの、そんなJ-POPの歌詞みたいなペラい話をするつもりはない。自分のための泉を守り、そのほかは上滑りしながら人生をやり過ごしていくだけ。勝者の玉座へ続くのはまったく茨の道なんだ。立ち入らない。

ファッションと雑貨。
俺のための泉は3年前に運命づけられた。
正確には、ファッションは10代の終わりごろ。
雑貨が3年前、特に米国ヴィンテージもの。俺のポップな天使たちは、1930年代前後から約40年にわたり世界一の大国で大量生産され、消費された。使い心地や耐久性などといった細かいことにはあまりこだわらず、人びとを視覚的に楽しませるために、その暮らしにかりそめの彩りを添えるためだけに生み出され、多くは年月の経過とともに捨てられていった。
ファッションと雑貨。
気取った軽薄なフォルムやプラスチックに広がるレトロ柄の誘惑に、ただ、遊んでいればいい。錆というのは美しいんだ。肘掛けの内側に地の木地が見え隠れする白いロッキングチェアの揺れ心地は、いつまでも続くなめらかな悦楽で、テーブルランプの温かみは寂しい心を、ただぼんやりと照らす。
琺瑯(ほうろう)の野外の空に 明けの鳥一つ
阿爾加里性水溶液にて この身を洗へ
蟷螂は眼光(まなこ)光らせ 露しげき叢を出づ
わが手は 緑玉製Isisの御膝の上に
富永太郎『四行詩』

[8回]
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