《 亜美 ６ 》
名前がない公園。
ブランコこぎをやめて、静かに座っているだけでも風が
吹きつける。あたしは体全部で受けている。
涼風が行き過ぎる瞬間、さざ波のように鳥肌が立った。
小さい頃、夜店に出掛ける前の、長い休みが始まる時の、
いとこが遊びに来た夜の、あの瞬間に今すごく近づいてる。
あたしが８月から続けてきたことを、安っぽく復讐とか
言いたくない。
これは観察なの。
集めた結果を分析して、どう行動するかを決める。
自分にとってすごく大事な恋がズタズタにされたんだか
ら、苦しいは苦しいけど、嫉妬しすぎて頭おかしくなると
かはない。観察のおかげで地獄を見ずに回避できてる。
それどころか、あたしは充実してる。１度も見たこと
なかった、こんな世界。観察はあたしに合ってる。何を
すればいいのか、教えられなくても最初からすごく自然
に動けた。やっと、できること、したいことを見つけた。
生まれて初めて自分と重なり合えた気がしてる。
「やらされてる」「流れで」「なんとなく」、ずっと中途
半端だった今までに別れを告げた。自分を生かして、一生
懸命生きてる。ただ、暗視双眼鏡を装着する時だけは、
姿が異様になるからなえるけど。
広川莉絵が青いMINIでやって来た。医院の駐車場に入る
とエンジンを切り、車中でアパートの２階を見上げてる。
そのまま、身動きせずに待ってる。色白だけど、一重のつり
目が残念。あたしのほうがかわいい。張りつめてる表情を
見ていたら、初めて観察に出掛けた真夏の夜、スーパーの
駐車場で吐いた時の苦しさを思い出した。
広川さん、もっと苦しんで。
そして、あなたのやり方でケリをつけて。
あたしそれが見たい。
ケータイで確認すると、１８：５８。日が暮れて、虫が
鳴いてる。辺りは暗くなってしまったけど、目の前の景色が
すごく鮮明に見える。もう暗視双眼鏡はいらない。
あたし覚醒したんじゃない？
ゆっくり息を吸い込んだ。その倍の時間をかけて肺の中
の空気をすべて吐き出した。２度繰り返して、３度目に息を
吸った時、２０２号室からギャルが出てきた。ジャングル
みたいな柄のホルターネックのミニワンピに、肩からフリ
ンジの赤いポーチを下げて、
ヒールが１０センチ以上あるサンダルで降りてきた。
ねえ、秋だよ？季節感ねーな。
ギャルはセンスないんだ、若いだけ。
腕も足も直線的に細く、マロンブラウンのロングヘアを
揺らしながら１段ずつ降りてきた。その時、不思議なことが
起きた。ギャルだけがスローモーションで動いてる。１番
無敵でキラキラしてる女の子にだけスローモーションがかかる
のかもしれない。
車中の広川さんを見ると、体も顔の表情も固まってる。
そう、こうやって脳内悪夢は現実になるんだよ。
ギャルが最後の１段を跳ねるみたいにして降りるのを見計
らって、広川莉絵が車のエンジンをかけ急発進させた。
「あ、ひく。」
あたしはブランコから飛び上がり、ダッシュした。
青いMINIはスピードを緩めず、医院の駐車場から道路を横切り、
一気にアパートの敷地へ侵入した。
キイィィ
桜の木に駆け寄り、幹越しにのぞき込むと、広川莉絵の車は
急停止したところだった。タイヤの摩擦音をヒステリックに
響かせながら駐車場内でＵターンし、道路に飛び出す。そこに
林田のbBが滑り込んできて、MINIの右フロントと出会い頭に
衝突した。
ギガシャッ
ライトの破片が飛び散り、階段を上がり避難していたギャルが
悲鳴を上げる。
広川莉絵と林田の目が合った。女のすがるような目を見た瞬間、
両のこめかみに熱がこみ上げてきた。一瞬で熱に支配された。
狂うって、たぶん、こういう感じなんだ。怖い。
すぐ落ち着くから。大丈夫。深呼吸する。許せない。
ギギギギギギ
広川莉絵は、青ざめ、ぐしゃぐしゃに歪んだ泣き顔になった。
アスファルトの上で、透明やオレンジのライト片がキラキラ
輝いてる。
傷を負った青色のMINIは、強引に前進し、急アクセルで走り
去った。
数分間、呆気にとられていた。でも気づいたんだ、
「逃げた」
って。
公園を後にした。
確かに普通はあの程度でもしょうがない。よくやったとは
とても言えないけど。
見上げると、黒雲の切れ間から、星空が見える。飛び散った
ライト片みたいに星が輝いてる。
「もうちょっと頑張ってほしかった。そんなに期待はして
なかったんだけど。広川さん。つまんない人間。」
車に戻ってメモ帳に感想を書いた。
自分のタイミングでやる。このまま終わらせない。
帰り道、遠回りしてひらひらおばさん家に寄った。観音像
のホテルから出てくる平和顔の２人の画像をポストに入れて
きた。Ａ４サイズに引き伸ばしたやつ。旦那さん見つけてく
れるといいな。
[4回]
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