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東本町雁木ヴィンテージ

05/06

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10/21

Mon

2013

《 主7、後藤マミ9、文子6 》


 「食堂」のテーブル。
 後藤マミがうつむいている。涙が粒になって連なり
落ちる。背中を甘地トシ子がさすり、斜め前に座った
井上しのが小さな手を時々は握りしめるようにしながら
撫でている。帰宅後に事情を聞かされた吉康一は、少し
離れたところで立ったまま震える肩を見つめている。
 突然、マミは立ち上がり、ティッシュボックスの置かれた
テーブルの端まで回り込むと、ブー、と派手な音を立てて
鼻をかんだ。サルは飼い主からつかず離れずしている。
 ブ、ブシー。
 何度か鼻をかむと、マミは再び椅子に戻り、テーブルに
突っ伏した。それをまるで包み込むように、トシ子が、
 「よくやった。最後まで泣かんで自分の気持ち言えた
でしょ。大したもんだわ。」
 と囁いた。隣りのしのが、
 「あらトシ子さん、そんな優しい声も出るのね。」
 「ま、やだね、失礼しちゃう。」
 マミの小さな右手がピクリと動いた。上体も顔も伏せた
まま、ピースサインをした。





 久しぶりに人びとの熱が充満する「男組」、空き部屋。
 ぬるくなった茶を飲み干し、陸川晃は居ずまいを整え、
 「ちゃんと話さないとだめだね。」
 と言った。真向かいの後藤文子は間髪入れず、
 「言える立場?」
 とりつく島もない語気と態度に、傍らで座る戸田絵美は、
ハッと顔を上げて、
 「今の夫婦漫才みたいでしたね、テンポ良くって。ああ
言えばこう言うみたいにポンポンて。」
 肩を並べる戸田二郎と、少し離れた文子が同時に楽天的な
声の主を睨む。射抜かれた絵美は、そろりと立ち上がりながら、
 「す、す。わ。アハ、ハ。わたしそろそろ出たほうが。ねぇ。」
 「大事な証人だから終わるまでいて下さい。私が言った
ことを勝手にねじ曲げられるかもしれない。いてください。」
 「いいや。」
 二郎が立ち上がった。文子のそばまで行くと、声を潜めて
二言三言、耳打ちした。文子の硬い表情がみるみるうちに
ほどけ、代わりに驚きの色が濃くなっていった。ポンポン、
と文子の肩を軽く叩くと、
 「我々はあっちで待機。」
 戸田夫婦は去っていった。




 
 この部屋には、かつて、少女が暮らしていた。
 3軒棟続きの戸田ハルニレ荘だが、戦前は各家屋が独立
していた。現在の「食堂」を挟むようにして、「男組」に
私が暮らし、向こう隣りにある日、少女と女親が越してきた。
 名前を楓子といった。近所の者は皆、ふうちゃんと呼んだ。
 ふうちゃんは16で、私は25だった。自分の身の上や
気持ちをあまり口にしない、地味な子だった。
 どんなきっかけで話すようになったのか忘れたが、朝夕の
挨拶などをするうち馴染みになり、いつの間にか私の仕事場へ
遊びに来るようになった。近所のそば屋へ給仕に出掛けていた
ふうちゃんは、休みの日になると私を慕ってやって来た。
 土間の隅に置いた木の踏み台がふうちゃんの特等席だった。



 蚕の話を思い出す。
 群馬の桐生に生まれ育ち、物心ついた頃、生家では養蚕を
していたという。長女のふうちゃんは7つになって間もなく、
蚕の世話を任されるようになった。決まった時間には学校の
授業を抜けて家に戻り、餌の桑の葉を与えなければならない。
できる限り授業の遅れをとらぬよう、往路を必死に駆けた。
いつでも苦しい道のりだったことだろう。息せき切りながら
頭上を仰ぐと、決まって、自分からは際限なく遠くに空が
広がっていたという。
 「私だけ授業に遅れると思って、走ってる時、せつなかった。
だから私は馬鹿になったんだ」
 ふうちゃんは言った。確かに読み書きできない漢字がいくつも
あり、ちょっとしたものでも読んで聞かせてやると、
 「かずさんはさすがだ。頭がいいもの。」
 と喜んだ。

 間もなく初雪かというある日のこと。
 「ふうちゃんが珍しく、映画が観たいというんだけど。
ひとりで行かせるのもなんだし。かずさん一緒に行ってもらえ
ないだろうか。」
 ふうちゃんの母親が頼みに来た。
 真っ昼間にもかかわらず、空には厚い雲が垂れ込め、映画館
までの道のりは薄暗かった。雁木の中を歩くから、傘はひとつ
だけ持っていった。
 題名も主演女優も忘れてしまった。
 どのような物語であったか、もう思い出せない。
 始まってすぐ、
 「かずさん、隣りの男いやだ。」
 とふうちゃんが耳打ちしてきた。
 隣りに座った男がどうもちょっかいを出してきそうな様子
だという。
 「観ないで出よう。」
 「待って。それじゃあ、いちにのさんで俺と入れ替わろう。」
 私が小声でそう言うと、ふうちゃんの顔は明るく反転し、
頷いた。
 「後ろのお客さんに迷惑がかかるから、早くだよ。」
 ふうちゃんが笑った。スクリーンに反射した光に照らされ、
少し頬高のほっぺが輝き、私は目を奪われる。目元も頬も口元も
瞬く間に心の奥地に浸透し、焼き付いてしまった。
 私たちは見つめ合う。
 ほんの数秒間。
 もし、かつて確かにあった肉体が突然に奪われる運命でなかった
ら、息絶える最期の時、あの数秒を思っただろう。
 ゆっくりと息を吸い込み、私は、
 「いち、にの。」
 さん、を言うが早いか、ふうちゃんの座っていた席へ素早く
体を収めた。横を見やると、口元に両手を当て、笑うのを我慢
するふうちゃんがいた。花が咲く瞬間を見た気がした。



 その年の暮れ。ちらちらとした小雪がゆっくりと降ってくる
薄暗い午後に2軒隣りへ出掛けた。
 「ふうちゃんが嫁に来てくれればいいんだが。」
 何かの弾みでうっかり口にしてしまった。母親はほほ笑んだまま、
 「かずさんならいいんだけど。年がね。」 
 こたつにあたっていたふうちゃんはただうつむいていた。
 半年経って春が来て、ふうちゃんと母親は群馬へ帰っていった。



 「どのみち、あの子には会えなくなるから覚悟して。」
 文子は抑揚のない声で冷たく言い放った。陸川は、部屋に
通された当初のようにうなだれてはいない。文子を見つめている。



 「転勤決まりました。希望を出していたのが受理されて。」
 トン。少し間を置き、トン。
 窓際で音がする。凍えるような外気を避けるでもなく、影に
なりすまし窓のこちら側へ侵入する気もさしてない、のんびり
屋の魔物が立てるノックのようだ。季節外れの大きな羽虫が1匹、
カーテン越しのほの明るさに誘われ、繰り返し窓にぶつかっている。
 無言のまま相手を見つめていた陸川は、やがて、
 「ちゃんと話せるのは、たぶん最後だから。」
 と言った。
 「消えてくれと思ってるだろ?…でもさっき。マミがあれだけ
自分の本音を吐き出したから。あそこまで言わせてしまって。
…君と別れても俺は親だから。」
 手に持ったままの湯呑み茶わんの底に視線を落としたが、再び
文子の顔を見上げ、
 「きみとマミに責任を持つと決めた。一生に一度きりだ。
今も変わらない。きみにはその気がないが、俺はある。勝手だけど、
正直に言うと、俺は、女の人を本気とそれ以外とに分けるんだ。」
 「は?」


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プロフィール

HN:
甘地トシ子
年齢:
71
性別:
女性
誕生日:
1953/03/21

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