《 後藤マミ4、文子2 》
「自分がなにしたかわかってるの!」
うるさい。
「言いな。」
「…さっき下で話したもん。」
ママが顔をそらして、だまりこんだ。
この部屋、すごく暑い。2かいだから真夏は仕方
ないんだって。
まどからほのおがさしてくるんだ。首やうでや
せなかがじりじりやかれて、このままじっと
していたら肉までとどくかもしれない。
いたい。光線があたしをころすの?
エアコンのリモコンを取ろうと立ち上がったら、
ママが急に右手を上げた。
「いっ。」
たたかれた。あたしをにらみつけて、
「怖い子だわ。」
って言った。

「あやまりなさい。」
顔がかげになってる。ママのほうこそこわいん
ですけど。
「あやまったし。」
言いおわらないうちに足をたたかれた。
「いたいってば!」
「ジョーイと同じだからね。あんたがころした
おたまじゃくしもジョーイも命は同じなの。
ころしたんだからね、ジョーイがころされても
いいの?平気?なんであんなことしたの!」
「じゃあハチとかハエは?ママだってころしてる。」
「だからママは、そういう…。ハチにスプレーかける
時とかごめんねってあやまるでしょ。」
「バカじゃん。」

パッと立ち上がってふすまに向かって一気に走って、
いきおいよく開けた。
「そんなの意味ないよ!」
ドガン。思いきり閉めた。
「もどってきなさい、おたまじゃくしと省吾君に
あやまりな!」
ママとママのさけび声は、あたしがにげても、
どこまでも追いかけてきそうだった。
くるしくて血の味がするまで走りつづけた。
足を見たら、持ってる中で一番走りにくいサンダルだった。
ジョーイをおいてきちゃった。

パパ。きょう仕事じゃないといいな。
「おぼえてる?」
自分に聞いてみる。パパのアパートには今まで2度
行った。関川をわたって、稲田小の近くを通りすぎて、
バイパスをくぐって、原信を通りすぎてすぐの信号を
左に入る。戸野目小の近くにパパの住んでる
「コーポ・タイム」がある。
歩いていくのはぜったいむり、でも自転車なら?
いったんハルニレにもどって、だれにも見つからずに
自転車を取ってくる。それさえクリアできれば、あとは
こぐだけ。着けるね。確実。
「行こう」
ものすごく暑い。
太陽がころすの?
北城のガソリンスタンドを自転車で通りすぎて
しばらく進んだら、なぜかジョーイを初めて見た時の
ことを思い出した。
2年前、こんなに暑い季節じゃなかった。学校行事の
代休でパパと近所の公園に行くと、ポプラの下のベンチ
で3人のおじさんがしょうぎをしてた。
ひとりは近所のおじさん、もうひとりは年だから産婦人科
の先生をやめちゃったおじいちゃん。
この人はおもしろくて、けっこんしてから毎年1回、
おくさんのヌードを写真で撮って、家族の記録にしてるん
だって。
のこりの1人は、
「ホームレスの人っぽいな。」
ってすぐわかった。その肩にサルが乗ってた。
あたし、あんなにおどろいたの、生まれて初めて。
まだ小さくて、見たことない緑色をしてた。
今はおうど色っぽい体だけど、あの時はきれいな緑色
だったんだ。
ちょうど動物と話す方法っていうのが学校ではやってた。
心の中で話しかけるの。たとえば、かわいいね、どこから
来たの、好きだよ、って。初心者は犬から始めるのがいい
みたいで、カラスとか自然の鳥はかなりむずかしいって話。
チャンスだと思った。心をこめて、
「LOVE」
って10分間ずっと飛ばした。
黒くて丸い、大きな目がキラリキラリなんだ。
ちょっとうるうるもしてる。手に持った小さい何かを
かじってる。どんなこと思ってるのかな。
ジョーイにむちゅうになったの。

でも、あの子はぜんぜんだめ。こっちをちっとも見て
くれなかった。LOVEってふざけてたかも。ふられた
気分ってたぶんあれのことだ。
あのホームレスっぽいおじさんがなんでジョーイを
飼ってたのかな。いまもナゾ。
初めてジョーイを見てから、学校の帰りはいつも
遠回りして公園の前を通った。1週間に1回、会えるか
どうかだったけど、むちゅうだったから。
雨が降って昼から晴れた日だった。おじさんが、
「ジョーイだよ。うれしいことがたくさんあるように。」
って名前を教えてくれた。
さわるの初めてだと思って手を出したら、右の中指を
かまれた。

それから半年もたたないうちに、おじさんがガンになって
入院しなくちゃいけなくなって、うちでジョーイをあずかる
ことになったんだ。おじさんは、すぐ帰ってきたいって
言ったけど、入院して10日で死んじゃった。
長い間、すごくがまんしてたんだって。
うちに来たはじめ、ジョーイはずっとあたしのことをいや
がって、あたしもにくたらしかった。何回もかまれたし、
言うこと聞いてくれないし、こっちに来ないし。
仕方ないよね。はなればなれにされたんだもん。
今はわかるよ。
おじさん。おじさんだって、またジョーイとずっと
いっしょに暮らしたかったでしょ?

パパはるすだった。
コスモスまでもどって、すずしい中で立ち読みしてたん
だけど、夕方になってきたから帰った。ハルニレの前の道路を
わたる時、
「おかえり。」
最大音りょうのヒソヒソ声で省吾君が2かいのまどから
手をふってた。

「2ひきのこってたよ。ほんとはころしてないね。」
暑くて死ぬかと思ってあんなにあせをいっぱい流したのに、
ぼわっとなみだがあふれる。あわてちゃって、自転車の
ペダルに足がひっかかって転んだ。目を開けると、熱い
道路になみだがふたつ、みっつ落下した。

太陽があたしをくるしめたけど、夕方になると、光はすごく
きれいだ。きせきがおこるみたいに。

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